新宿の紀伊国屋書店の社長に会う機会があった。時間より早くついたので、紀伊国屋の店頭に山積みしてある本をぼんやり見ていた。ひときわ目に付いたのがこの「藤原悪魔」。繊細な紀行文を書く藤原さんが悪魔とは如何に?サブタイトルが“天使のまゆげ”。おいおい商売上手な装丁だなと思いながらも、その本を購入した。
そのうち社長があらわれた。もう80才を越えていると思われるのに元気、元気。とぼけた感じでおっちょこちょいの背の高い白髪の紳士だ。すすんで社長室やサロンやら案内してくれる。側にいる秘書さんが何もそこまでする事ないのにとおろおろしてる。まるで森繁の社長漫遊記を見ているよう。社長室はいたってシンプル。雑然とした書斎のようで、贅沢な感じはしない。「これがサッチャーと一緒にとった写真です」と子供のように自慢している。経営者の匂いはしない。こういう人を自由人と呼ぶのだろう。
紀伊国屋の社長が定住型自由人なら、移動型自由人が藤原さんだ。旅での人との出会いも不思議だが、本との出会いも不思議で、その購入した状況を鮮明に覚えてる。このエッセイの数々を読みながらも、紀伊国屋の社長が頭から離れなかった。
移動型自由人は管理されることを嫌い、チベット、インド、バリ、ヨーロッパの国々へと出かける。定住型自由人はキチンと散髪をして、夜の都 会を徘徊してそうだ。大都会の自由人と旅の中の自由人。あれも一生、これも一生とこの本を読みながら考えてしまう。人それぞれ同じ一生はないのですな。
この本、政治や事件について藤原さんの意見が満載してあるんですが、やはり面白いのはイメージを喚起する美しい文で綴られた旅の話ですね。
その中でも圧巻は沖縄の先頭にある八重山諸島の一人のオジサンを描写する「島の歌」のエッセイ。ロマンとエレジーですよ。「いま安里は男がしうるさまざまなことをなし終えて、歌をうたう。」しびれる文章じゃありませんか。まあ中身がわからんとなんだか分からないでしょうが、あれも一生、これも一生ですよ。藤原さんのエッセイを読んでいると、旅は人を見ることであることがよく分かります。自然を描いてもそこに住む人が見えてきます。人に興味を持たなければ旅とは言えないのかも知れません。ツアーで旅する人はちょっとでもそこに住む人に会いたいという意識があれば、旅が倍楽しめると思いますよ。写真もこの本には数多くあるんですが、藤原さんの鮮烈な赤色は非日常的ですね。気が狂いそうな陽気さです。
今日は天使のまゆ毛のあるバリの犬の写真を見ながら、あれも一生、これも一生、犬の一生でも考えて安らかに寝よう。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '99年1月号掲載)