才能ある人はどの時代でも現れるんですな。最初この本を書店で見た時には、装丁といい、タイトルの「夫婦茶碗」といい、鳳啓介と京唄子が司会をしてたおばさん、おじさんのおもろい夫婦が出て来るんじゃないかと思いました。ところが違いましたね。私の70年代のダラダラ生活を彷彿させる80年代の青年がいましたね。笑えて、切なくて、アナーキーで。生きてる事の根幹に触れる思いです。よいですねこの本。
人間には二種類あって、私としては人間をパターン化するのは嫌なんですが。どうしょうもなくあるのは。暇をうまくつぶせる人とそうじゃない人があると思うんです。暇をつぶせる人は一人遊びがうまくて、怠け者。そうじゃない人は働いてないとイライラする人。この小説の主人公は働くより暇を選ぶタイプ。日常生活の小さな事にこだわり、大きな事を夢想してる。私も何もしないで過ぎてゆく時間が大好きなので、よくわかりますね。
私のお休みは、朝起きて、軽く新聞を読んで朝飯食べて散歩して、パソコン向かって囲碁などして、本などちょっと読んで、もうサウナに行く時間、そこでぼお〜っとしてもうお酒の時間、酔ってうたた寝して、あれあれもうホントに寝る時間。全く無為な時間、生産的なことは何もしてません。これこそ贅沢と思いいつつ、これでいいのかと考える時間が又いいのです。こんな日が三日続くと、無意味がなんてアナーキーなんだろうと実感できますね。妻のほうは無意味な時間が大嫌い。温泉行くなら勉強してますという女性。せっせと英会話、ヨガ、映画鑑賞、人と会うをくり返してます。全く正反対の人間が同居してるんですから夫婦とは不思議なものです。人間には二種類あると断定してもいいくらいです。
この主人公は働きませんね。私は働くときはきちんと働く。根本的に違うのは彼はヒモ的体質を備えているんですね。うらやましい限りです。食べるものがなくなって、お米を食べるためにバイトをする。わかりやすく、労働の基本を言ってくれるので、なんか生きる勇気さえ出てきます。働かなきゃ生活できないんですから、青年時代の生活のための労働は嫌でしたね。「家長としての自覚がない」とは妻によく言われました。バイトはよくやったんですが楽なもの楽なものと考えてました。バイトをやめるための方法論も考えましたね。一番いいのが、やめると言い出す一週間前から気がふれたような行動をすること。独り言を言ったり、奇声を発したり、ぼけっとしてると、人手が足りないところでもすんなりやめさせてもらえますね。
残り少ない人生、こんな考え方でいいのか、多分いけないでしょうね。でもいいんじゃないかと思わせてくれる私に合う小説でした。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '98年11月号掲載)