なんで今さら江戸川乱歩なんだろうと思いでしょうが、昨日読んだ本がこの文庫本なのでいたしかたない。「傑作選」とあるがその通り、実に傑作。新鮮な感動を覚えた。大正の終わり頃の作品なのに古くさは全く感じない。今現実に起きている猟奇殺人やら、無差別殺人が昔から人間の空想の中にあったのだと、ちょっと不気味な恐ろしささえ感じてしまう。テレビや洗濯機などの電化製品が空想や夢からどんどん現実のものになっていったように、犯罪などの負の空想も現実になっていくだろうか。そんな事も考えてしまいました。
実はこの本を選ぶには理由がありまして、今度江戸川乱歩の「 陰 獣 」をドラマでやるので、懐かしい明智小五郎の世界にでも行ってみようかな軽い気持で本屋に向かったのです。
小学校の頃は貸本屋というのがあって、そこで借りたものでした。全部の漢字にルビがふってあって、わら半紙みたいな粗悪の紙に大きめな字で印刷されており、挿し絵もいっぱいあって、「怪人二十面相」というタイトルだけで恐くなっていたものです。そんな気分しか江戸川乱歩にはなかったので、この傑作選にはまっことショックを受けました。私が小学校の頃読んでいたのは少年物だったんですね。まるで「平家物語 」も「源氏物語」も同じ合戦ものだろうと思って「源氏物語」を読んでしまったようなカルチャーショックでした。実際小学校の頃、貸本屋でしでかした私の読書体験であります。光源氏は女の所ばかり行って、いつ合戦をやるのだとイライラしながら読んだものです。
私が少年物を読んでいた時の大人達はこんな物を読んでいたんですね。「 芋 虫 」。恐くてグロテスクな本ですよ。戦争で両手両足をなくしてしまった夫と太った妻の夜の営み、その女性心理。当時発売禁止だったそうですが、今でも映像化は難しいでしょうね。これはSMの極地かもしれませんね。他にもこんな事が現実にありえないだろうな、いやありえるかなとリアリティを超えた面白さに敬服いたしました。読んでいると、江戸川乱歩自身が犯罪を空想し、アイディアを考え、それを楽しんで書いているというのが伝わってくるんですよ。まあ彼は天才として認めるとしても、人間の想像力は生きてるうちに使わなきゃいかんなつくづく感じさせる一冊でした。
テレビのない時代、暇があってお金がなければ空想で時間をつぶしていたんでしょうね。人間の生み出す空想は限りなく残酷か夢のようなロマンか、どちらにしても空想は果てしなく、考え続けると狂気に近づく恐れがあるので、テレビ的な、空想を遮断するものが作り出されて来たんですかね。
テレビのない社会を今一度空想してみようかな。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '98年2月号掲載)