表紙に「負犬道」とあって、本文のタイトルには「負犬道」の隣に小さく「まけんどう」とルビがふってあった。私は思わずほくそ笑んだ。負け犬がまけんどうか。負け犬が負けては当たり前。そのルビには絶対負けない強い意志と可愛いしゃれっけがある。ハードボイルドはあまり好きじゃ ないが、タイトルに脱帽して本を手にした。
いやはやヘビーな本でありました。登場する女は、病的か薄幸な女。もっともサスペンスで健康的な女は絵にならないが、主人公の弟までも精神を患っている。何もそこまでしなくともと思うのだが、これがしがらみとなって、全編に暗い影がつきまとい、負け犬のリアリティがましていくのだ。
闘犬では、キャンと鳴いたり、相手に背を向けたら負け。そう言えば見なくなりましね、闘犬。私の小さい頃はよくどこからかやってきて、大相撲興行のようにやってました。頑丈な木で作られた八角形の柵の中で犬が戦い、オヤジ達は柵の上にのってけしかけるんですよ。犬はウーとうなって絡み合い、首筋を噛んだり、耳を引きちぎったり、野蛮でしたね。でも、あの野蛮さを見ることで、次の日から人間はやさしくなるんですよね。逃げ場を失ってキャンと鳴く負け犬の絶望感は、子供心にも哀しくて、強い者があそこまで人を痛めつけちゃいけないと学んだものです。
この小説の主人公は負け犬といっても、社会に対しても自らの腕力もめちゃ強い。それでなくてはハードボイルドにはならんわけだが。じゃあ、なぜ負け犬なのか。この人には勝てない、どうしようもなく尊敬してしまうという人物がいるという事なのだ。ヤクザの話のようだが、映画界の話で、尊敬する人物は映画監督、主人公は制作マン。そういえば映画界の縦社会はヤクザの社会に似 ている。
男が男に惚れて、自分を一段低くみてしまうことは、男として生まれて来たからには一度は経験する事だ。私も演劇を始めた学生の頃、ある演出家にとことん惚れた。時代への反骨精神、男っぽさ、年下に対する深い優しさ。呼びだしの電話があれば深夜でも出かけ、バイトをやめろと言われれば、始めて三日のバイトもすぐやめた、その人といると自分もかっこよく思えたのだ。それが、その演出家の日常のささいな弱い所が見え始めてくると、女や酒であったりした訳だが、熱が冷めてくる。もともとヤクザのように義理人情がある世界ではない。負け犬が一本立ちするには時間がかからなかった。そこから私は一気にお笑い界に身を投じたのだ。
この主人公も「まけんどう」で負け犬から逆の立場になる瞬間がある。そこがかっこいい。自分の青春時代を思い出させてくれる小説は概して良い小説が多い。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '98年1月号掲載)