一年に一度のお祭り、シティボーイズライブ月間が終わり、祭りの後の虚脱感が心地よく全身を包んでおります。
こんな時何を考えるかというと、私の場合はこのだらぁーとした気分を長続きさせるために海にいきたいなあ〜と、飽くなきだらだら気分を求めてしまいます。海と行っても、海を眺めるといったセンチメンタルなものじゃなく、スノーケルをつけて海にいつまでも浮いていたい、お魚とお友達になりたいというロマンチックなものなのです。自分の歳を考えるとちょっと照れますが、素潜りの楽しさを知ったのが40歳近くなってからなので、素潜りの中学生だと思って許して頂きたい。
そんなこんなで、手にしたのがこの本「イルカと、海へ還る日」。自分が始めてグァムで素潜りした時の海にとろける様な気持やら、海に浮くリラクッス感覚を思い出させてくれた。 この本は人間の限界といわれた水深100メートルに挑んだマイヨールの 経験が生々しく哲学的に書かれている。映画「グラン・ブルー」のモデルになった人だ。映画を見た時には幻想的な海には驚いたものの、深く潜る事を競うなんて、なんとナンセンスなんだろうという印象だった。男の勇気を試すのに死を賭けてやる必要があるんだろうか、深く深く潜りたければ、それ用の道具があるじゃないか思って見ていた。
ところがどっこい、この本に出会いその認識は180度変わった。死を賭けていたのではなく、死ぬほど海が好きなことがわかった。人間は水棲動物になれるという強い認識、イルカや鯨と心が通じあえる、友達以上になりたいという夢を現実にした男だった。イルカでも水に潜っていられるのは10分程度だという。マイヨールが4分弱。人間は無意識に呼吸をしている。彼は呼吸をしないでいる事を無意識にしたいと言う。そしてそれができるのだ。
人間の可能性は何かに惚れる、もの凄く惚れることから開かれていく事がわかる。その惚れ方が天才かそうでないかの分岐点なんでしょうか。3メートル潜ると死の恐怖を味あう私とは、海に対する好きさの度合いがまるで違うのです。浅い海でぷかぷか浮いて地球を抱かれる様な感じで私としては大満足なのですが、幸福の尺度は人によって全く違う。浅いところで満足できる人は、深い満足の人のおすそ分けをしてもらうしかない。、マイヨールは語る。「水深105メートルで私が感じた歓喜は、時間の観念が変化してしまうほど強烈で、完璧な物でした。それは永遠はこの一瞬の有限の中に存在するという喜びでした。」
海と一体となる歓喜。歓喜ですよ。私達のライブも歓喜に至れるよう手を抜いちゃいけないなと反省もしてしまいました。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '97年6月号掲載)