ああ、情けない。
東西のお笑いタレントのそうそうたるメンバーが集まるゴルフのコンペが、二ヶ月に一度あるのだが、三連続ブービー賞だと。さんまさんに「V3おめでとう」とか言われちゃって、穴があったら入りたいよ全く。どうして1ホールで12回も叩くかな。パー5で三打目がナイスショットで、、もうグリーンまで60ヤード。ところがグリーンとの間に池があって、池に二発も打ち込んだ。その前に空振りもしてる。そもそも、三打目が池のギリギリ5センチの所で止まって、助かったと思った時に落とし穴が待っていたのだ。ほっとした瞬間こそ慎重に。打ちっ放しの練習場じゃ、こう言う事は教えてくれないもんな。ちなみにブービーメーカーは小堺君。私のトータル110。トップはそのまんま東君の1アンダー。一生、優勝は無理だ。この間やっと100を切って自信をつけたのに現実は無惨だ。せっかく飛ぶドライバーを手に入れたのに何の役にも立ちゃしない。
飛ぶといえば鉄砲。兵器革命の最たるものだろう。吹き矢や弓矢しか知らない日本人に鉄砲の伝来のぶったたまげ方は想像するに余りあるものがある。さしずめ私のドライバーは弓矢、コンペの上位クラスは鉄砲か。驚く程飛びやがる。ああもうゴルフの話はヤメ。
この「鉄砲無頼記」は、学校の日本史では教えてくれない鉄砲伝来の経緯をワクワクする形で語れてゆく。いったい授業の日本史は何だったろうと考えてしまった。一五四三年に種子島に鉄砲は伝来された。「以後の世、みんなで使う鉄砲」とか覚えたもんだ。それは暗記しているだけで、知識でも何でもない事を思い知らされた。なんで種子島なのか、どうやって鉄砲を手に入れるに至ったか。考えもしなかった。受験勉強ではそんな事は必要ないのだ。オレの頭の中、そおいう記憶だけの知識が多いいんだろうな。
実は種子島とは凄い島だったのだ。中国は明の国や琉球からの交易の中継点。刀や農具の製鉄法も、明国から種子島にもたらされたものだったらしい。そんなこと知ってらあと言う人はごめんなさい。船で貿易をしていた時代、季節風や潮の関係で種子島は絶好の位置にあったのだと。なるほどそれなら鉄砲も伝来する訳だ。何の変哲もない島にポルトガル人が漂着して、鉄砲が伝わったと思ってた人、悔い改めなさい。
それから、感心してしまったのが、日本人は真似て鉄砲を作るが、ネジが作れない。ただの詮で爆発する部分を止めていたもんで、顔が吹っ飛んだ人が随分いたらしい。結局は異人さんに教わっている。そういえばパソコンだって異人さんの考えた物。受験勉強をしている限り、異人さんには創造力では勝てないだろうな。( 協力 / 桃園書房・小説CULB '96年10月号掲載)