豚が大流行。豚がペットになったり、豚Tシャツ、豚とつくタイトルの本が売れている。そうとは知らず豚本を2冊買ってしまった。『豚の死なない日』と『豚の報い』。ワイドショーで紹介されたのは、らもさんの『ガダラの豚』も入っていたが、知らずに豚本を全部読んでいたとは、何と私は通俗的なのであろう。
とりあえず本屋で、豚という文字は目に飛び込んで来る。侮蔑用語であると思うのだが、「ブタ!」とはっきり言われると、それ以下がないような気がしてどこか潔い。「イヌ!」とか「イタチ!」と言われるより、よっぽどいい。もっとも妻から豚と言われて、離婚した夫婦を知っているのだが。
という訳で今月は『豚の死なない日』。豚をペットとして飼う少年と家族の話。どうにも切なく、哀しく、凛々しい、素敵な本だ。無駄がない。読み終えてページを適当に開いても、部分から全体が見えてくる。起承転結のある本に久しぶり出会えたという感じだ。
面白いのは、家族といっても母親はほとんど出てこない。父と子の関係だ。これはゴリラ社会に似ている。ゴリラはオス1匹にメスが数匹で群をなしているのだが、メスは最初の3年間は子育てをして、母親から1匹のメスに戻ってしまうらしい。後の教育はオスがやる。ゴリラのオスは偉いのだ。とは言っても、ゴリラは1日の大半は寝ているのだが。
この少年の父は働く。豚を殺すのが仕事だ。普段平気で食べている豚や牛が、屠殺する人がいて口に入るのだという強烈な認識を持ってしまう。職業に差別はないというが、進んでやる仕事とそうでない仕事はあるだろう。その仕事をやらなければ生きていけないという状況は辛い。しかし、父は今おかれている状況、生きていく手段を全て、死さえ、子に話し、教える。子は親の背中を見て育つと言われるが、この少年は父を正面から見て育つ。
果たして私は子に何を教えたろう。誇りを持って言える事は何もない。我が子は高校生で、スキンヘッドに飽きたかと思えば、黒人をまねて頭をちぢり毛にしている。ほとほと情けない。生きるという事がどういう事かわかっていない。まあ自分にも分からないんだからしょうがないか。徹底的な放任状態。母親がギャアギャア騒いでいる。
一度、高校生殺人について息子に聞いてみた。なぜそんな事するのか、君はどう思うと。返って来た答が「バカなんじゃない」それだけだ。何の解決にもならない。「親とか社会が生命の尊さとか教育しないからだ」とか返ってくれば、深く反省するつもりだった。私は子を信頼はしている。だが今一度、男はゴリラのオスに戻る時期に来ているのかもしれない。( 協力 / 桃園書房・小説CULB '96年5月号掲載)