『笑い絵』とは、どんな絵だと思います? 博識の方はお分かりでしょうが、なんと春画の事なんですね。そうとは知らずこの本を手にしたもんですから、ラッキーな掘り出物といった感じ。
そもそも、先日NHKの取材で画家ゴッホの絵を間近に見る機会があり、ちょっと絵画なんぞに興味を持って読み始めたら、アートに程遠い春画にまつわる本だとは、なんともセクシャルハラスメントきたろうらしいじゃありませんか。
この本は、読めども読めども終わらない、それでいて飽きない、なんとも不思議な本でありました。時代は昭和の初期、紙芝居屋のおじさんがパトロンにみそめられ、春本を書く様になって、ストーリーがとんでもない方向に進んでいく。お国のために、春本春画を書いたりしちゃう。ピンサロありの、革命っぽさありの、高級料亭の残飯を鍋にして出す食堂ありので、盛り沢山。ちょっとしたジョークも計算かどうかめちゃ古いので、まさに昭和の初期へとタイムスリップしてしまう。
「こいつはシロイヌになってきたぞ」
「シロイヌ? なんの意味だい?」
「白い犬。尾も白いという洒落だよ」。
もう誰も笑わない冗談が平然と書かれると、冗談よし子さんというより、時代の匂いがプンプンしてくる。ギャグは確実に進化してるという事実も、この本は気づかしてくれるのだ。
しかし、昔も今も変わらないのがスケベ。インターネットでもスケベが主役。時代を引っ張る。まだまだ、インターネットのスケベは隠れてするというイメージが強いが、いずれ雑誌の様になっちゃうんでしょうね。いいことです。
陰でコソコソ見る春画も相当刺激的であったでしょうが、現代はその刺激もあって、堂々と雑誌でも陰毛が拝める。恵まれた時代です。
実は私、秘蔵の浮世絵の艶本の写真集を持っているんですが、「笑い絵」のおかげで久々に取り出してみました。十二単衣のお姫様の割れ目ちゃんは、豪快そのもの。江戸時代の人が、この時代お上の制約はなかったのですが、歓喜していた様子が容易に想像できます。そして、面白い事に気付いた。「笑い絵」という意味です。艶本を買った当時、余りの露骨さに興奮しきりだったのが、改めて見ると、興奮というより、大胆なタッチとその諧謔精神に思わず笑ってしまったのです。春画が「笑い絵」と言われる所以はここにあったのだと納得。
浮世絵をこよなく愛したゴッホも艶本を見たに違いない。今度、艶本を見ていたゴッホと言う視点でゴッホの絵をみてみよう。そこには明るいゴッホがいる筈だ。「笑い絵」はやっぱり、ゴッホに辿り着いた。( 協力 / 桃園書房・小説CULB '96年4月号掲載)