私の物忘れは幼少の頃から、ずば抜けていた。その日の出来事をその日のうちに忘れる。
まだ小学校の低学年の頃、近所の2つ年上の子と殴り合いの大喧嘩をした。私の方が悪かったと思う。彼は血を流していた。その日の夕方、喧嘩をすっかり忘れてしまい「お風呂に行きましょう」とぬけぬけと彼の家に誘いに行ってしまったのだ。それが毎日の習慣であったとはいえ、記憶が習慣に負けてしまった。当然、彼のお母さんが玄関に出て来て「今日、喧嘩したんだって」と言う。そうだった、それもついさっきだ。その途端、顔は真っ赤になるわ、背筋がひやあっとする。なんともバツがわるい。その感覚だけは、記憶力の悪い私でもはっきり覚えている。だが彼のお母さんはすぐ許してくれた。喧嘩両成敗である。もちろん、2人はその日に仲直りができた。
はたして、この話がなんの前振りかと言いますと、第2次世界大戦にまで飛ぶとは誰にも思えないでしょう。ところがどっこい、この喧嘩両成敗が全くなかったのが、勝者が敗者を裁く東京裁判。こう繋がる訳です。どうやって仲直りすればいいんでしょう。日本帝国主義を肯定する気はさらさらありませんが、戦犯ひとりひとりを考えると複雑な気持ちになります。
この『プリズンの満月』は戦犯の日本人刑務官の心情、仕事が巣鴨プリズンの歴史と共に、たんたんと書かれていく。勝者が決めた犯罪者。そんな事ありかよ。涙なくして読めません。
映画『わたしは貝になりたい』を見た時にも思ったのだが、なぜ、東京裁判そのものを裁けないのか、アメリカの裁判官を裁けないのか。素朴な疑問に陥ってしまう。それを解決しない限り、戦後50年たっても、勝者の奢りはいつまでも続く。沖繩しかり、家の近くの多摩の米軍用のゴルフ場だって、子供になんて言えばいいのだ。「戦争に負けたから取られちゃったんだよ」と言うしかない。勝者は50年経っても勝者なのか。核を落として、なぜ裁かれないんだろう。確かに日本は狂っていた。でも、核はそれ以上に狂っている。そろそろ喧嘩両成敗をいい始めていいのではないか。米軍基地は一度は全部日本に返せ。その後、防衛の問題はアメリカと日本人とで考えようではないか。勝者の奢りを糾弾しない限り、戦後のくすぶりは根深いところでいつまでも続いていきそうな気ががする。
この本では、日本人の得意な「なしくずし」で戦犯がプリズンから解放されていく様が描かれていくが、「なしくずし」も、その突破口は決して簡単なものではない。指導者の毅然とした態度、アメリカに敢然と立ち向かう勇気があってこそだ。あまりにも現実的な政治家は、今こそ文学者から政治を学ぶべきではないだろうか。( 協力 / 桃園書房・小説CULB '96年2月号掲載)