さて、何を読もうかな。無目的に本屋さんに入るのは楽しい。本棚の背表紙を見ながら、カニ歩き。1冊づつしか置いてなくて、売れたらきちんと補充してるのだろうか。どうやって点検するんだろう。あっ、あれだ、本を買う時に取られる、本に挾んであるシオリみたいな奴。あれで確認してんだ。新装開店全書籍総入れ替えなんて日がないかな。くだらない事を考えながらカニ歩きを続けると、夢中で目的の本を探しているカニ歩きの女性が、オレの背中にお乳をくっつけたりする。実に本屋は楽しい。乳を無防備にしている女性は概して可愛い娘が多い。まあ、そんな事はどうでもいいんだが、背表紙を見ていて、ムム、これはただ者ではない、笑いのセンスはオレに近い物がある。なんと直接的で大胆、単純明瞭、人をおちょくっている。すかさず手にした。それがこの『笑う山崎』。
確かに山崎さんは笑うのだが、オレの考えていた笑いとは大きく違った。眼が笑わないサディスティックな笑いとは。だって、騙されるよ。表紙を開いたすぐの所に作家、花村さんの顔写真があり、その頭は禿げあがって、鼻が丸くて猫をかじって、くしゃくしゃな顔をしてるじゃないか。登場する山崎さんは「尖った鼻先や顎の線が、冷徹な意思を感じさせる」とある。ここを読んだ時、もう一度写真を見て、ない物ねだりをしてるのかと思って笑っちゃいましたよ。
激情にかられた暴力はその人の内面が推測できるので、嫌悪感はあるものの人間だからしょうがないよねとか理解できる。ところが、ここで描かれる、冷静なサディスティックな暴力(リンチ)は人間だからしょうがないよねじゃすまない。理解を越えて、唖然。人間はこんな事をするのか。情を全く排除する事に爽快感を持ってしまうという事はするんだろうな。現実にも、人間は恐ろしいリンチをしてきてるしな。
これから読む人のために、そのリンチの数々は紹介しない事にするが、卓抜なアイデアであり、絶対その現場には居合わせたくないものばかりだ。
そこで、オレも考えてみた。「人間ダイコンおろし」。生きた人間を巨大な大根おろしで、足の方からおろしてゆく、絶対に気絶はさせない。あるいは、足を1本切り取り、自分の足がおろされているのを見させ続ける。そして次は手だ。ああ、こんな事が思いつく自分が怖い。人間をカンナで削るのはどうだ。「センヌキ指入れ関節折り」ああ〜助けて!「フライパン顔面叩き」鼻がつぶれる。なんで日用品ばっかりなんだ。
山崎さんは、姑息な人にもっと容赦ないよ。今ふと、本の装丁に目をやると、綺麗な水が流れているのかと思っていた物がドスだった。いろいろ裏切ってくれますね。( 協力 / 桃園書房・小説CULB '95年9月号掲載)