とってもいい本を見つけた。待ち合わせに早く着き過ぎて、ぶらり立ち寄った小田急成城学園の本屋さん。学生でごった返している。五反田、新橋あたりのおじさんの本屋さんとエライ違いだ。ちょうど目の位置の棚に、原田宗典の単行本が5、6冊ある。その本屋さんでは好位置をキープしている。俺の知らない作家だ。どのタイトルも、くしゃみをする寸前のくすぐられる感じがある。私が手にしたのは『しょうがない人』。装丁もおしゃれ。期待が膨らむ。
待ち合わせに遅れて来た新人マネージャー杉山に、俺は先物買いの、あらゆる所にアンテナ張った感性豊なコメディアンだと誇示するべく「どうだ、原田宗典知ってっか」と高圧的に問う。杉山は「有名ですよ、スメル男なんて最高ですよネ」と答えやがる。俺はちょっとムッとする。その顔で立場は逆転した。いつまでもスメル男のストーリーを話しやがる。その本は絶対読まない。
だいたいマネージャー杉山は高校時代、「フォーティーズ」と言われていたと言う。その理由は、クラスで成績順位がいつも40番代のグループだからだったからだそうだ。今のガキどもは、なんともオシャレな命名をするものだ。それはともかく、そんな奴に先を越されていたとは。いつもシングル君の俺としては「たまたま、先に知ってたってエラくもなんともない。知らないと言える方が人間として素晴らしいのだ」と訳のわからん事を言い放つ羽目になってしまった。
代表作も読まずして、この本が一番いいと俺は言い張ってやる。4つの短編が入っているのだが、どれも完成度が高い。何がいいって、根底に流れる貧乏がいい。貧乏を海面に揺れるさざ波の様にサラサラと描く。もう死語になった純文学ではああはいくまい。作家が海の底まで潜って内面を告白するに違いない。潜りたい人だけ、潜りなさい的な姿勢が、読んでいてとても気持ちよくも、おかしいのだ。「しょうがない人」とは借金で逃げまくる自分の親父なのだが、事実そのものは、とてつもなく悲惨である。それを自業自得と突っぱねているのだが、最終的には「しょうがない人」と愛ある結論を出す。しょうがないとはしょうがないとして認める言葉であり、許す言葉でもある。駄洒落を言って「しょうもない」と最低の所で認められ、もう先の結論はないという一件落着の言葉でもあるのだ。この結論に辿り着くまで、長い年月がかかったと思う。
そして今、一家離散の憂き目にあった息子の本が、成城学園の本屋さんで一等地を占めている現実。何とも心和む血縁のサイクルではないか。
俺の息子も、いつか鼻のピアスをはずす立派な男になってくれるだろう。( 協力 / 桃園書房・小説CULB '95年2月号掲載)