破竹の五連勝。なんともすがすがしくも高揚する気分である。近所に住む大学以来の友人に囲碁で完勝した。両方ともへぼ碁だが、どちらかというと俺の方が弱く、普段は負けがこんでいる。奴は、コンピューターを利用して囲碁を学習している。負けた時の辛さ、敗軍の将は勝者の傲慢な態度に耐え、屈辱に口をへの字にして、こぼれそうになる涙をじっと耐えねばならない。そこで俺は、囲碁必勝法なる本を2冊読破した。見事成果が現れたのだ。定石とは、げに恐ろし。知識は戦いにおいて、知識以上の自信になる。勝った俺は、頭を垂れる敗者に「弱い! 一生勝てんだろうな。今やカンピューターの時代なのだ。長嶋万歳!」と追い討ちをかける。二度と立ち直れない様にしておかなければならない。勝者が威張るのは当然だ。だから戦争ごっこはおもしろい。
ところが、戦争に勝って威張らない人がいた。『二つの山河』に登場するドイツ人捕虜収容所所長、松江豊寿なる人物。
そもそも、日本にドイツ人の捕虜が5000人もいたという事実に驚いてしまった。第1次大戦中に、中国の青島を占領していたドイツ軍を連行して、日本各地に収容したという。
『二つの山河』の参考資料をみると、その事に関する本が数多く出ているので、知ってる人も多いのかも。どうも俺は自分の知らない事はみんな知らないと思う所がある。戦争中も薩長連合と会津藩が根深く対立していたという、常識ともいえる事柄も知らないくせに。恥ずかしながら、この本で知った。
この松江さん担当の捕虜は徳島の小さな村にあって、1000人を収容していたという。ドイツ人捕虜に対して、人道的に接するばかりでなく、ドイツの文化、芸術、技術を吸収し、捕虜を指導者として扱っている。日本の軍隊は、丸坊主で融通がきかず、すぐ手をだす発狂寸前の鬼軍曹というイメージしかない俺はもうホッとしてしまった。そして、実はこういう人の方が、日本の軍隊でも多かったんではないかと思い始めてる。なんと俺は単純なんだろう。
この本では松江さんの人柄を個人史だけでなく、会津藩の歴史、父そして祖父と辿る事によって浮き彫りにしてゆく。そのおたくともおもえる作家としての作業に脱帽する。
「戦争を知らない子供たち」と自ら歌った我々の世代だが、なんとこの本を書いている中村さんは昭和24年生まれ。同世代だ。この本を読んでみたいと思った理由もここにあった。
戦記物は戦争体験者の死と共に無くなるものと思っていたが、膨大な資料がある限り生き続け、蘇る。この晴れわたった秋空の下で、戦争があったんだなあと、しみじみしてしまった。囲碁に勝っても奢らずか、なんか負けそうな気がしてきた。( 協力 / 桃園書房・小説CULB '95年1月号掲載)