「たほいあ」という深夜番組があったのは御存知であろうか。広辞苑に掲載されたある言葉を、5人の解答者がその意味をもっともらしく答え、誰かが嘘の意味を本物だと思ってくれれば勝ちといったゲーム。自分の創作した嘘にひっかかってくれると、これはもう大魚を釣りあげた如く有頂天になってしまう。一度辞書を開いてみると面白い。語感が傑作で意味不明の言葉が驚く程あるんだなこれが。
そんな番組をやっていたせいか、この『ぼぎちん』という言葉が書店で気になった。さしずめ私なら「折れた男性器の意」とか書いてダマそうとするだろう。「ぼぎ」を何かが折れた音の「ボキッ!」と掛けている訳だ。誰もひっかからない事はわかってる。笑いをとる事も必要なのだ。
本当の意味は、作者が最初のページに明かしてくれる。知りたい方は本屋で立ち読みするといい。ちょこっとガクッとくるが、語感が可愛いので許す。
私は、この本にほれた。普通、愛の遍歴などを独白されると、くどくどと同じ話をするか、妙に文学的に自分を飾ろうとしたりして、そんなものどうだっていいよという気になるが、この作者に限ってはそれがない。女女しい事を書いているのに、女女しさがない。飾らない分、心の動きが手にとる様にわかる。
この本はベストセラーになるに違いない。ならなかったら、オレはこのコーナーをやめる。「ただもうやりたいだけって盛りの男の子たちと、やればやるほど、空しさはつのるばかりなり、だった」の10代の女の子が、おじさんに恋をする。おじさんに恋をするからこの本が気にいったと思われては困る。18歳を過ぎた女性は、もう立派な大人だ。対等に考えていい。でも、同世代のSEXに空しさを感じる所は、おじさんとしてはちょっと嬉しい。
考えさせられるのは、愛と肉欲の問題。愛とやりたい気持ちは境目がありそうでない。男も女も、気持ちいい方がいい。気持ちいい事に走るのは当たり前の事。気持ちよければ愛なんていらないとも思う。しかし、愛があれば気持ち良さは倍加する。愛があっても、気持ち良くなければ別れる。性の不一致という奴だ。う〜む、難しい。
性からの自立は何歳になってもできるものではない。ただ、おじさんになって知る事は、愛も肉欲も時間が経つと心の隅っこに行ってしまうという事だ。愛は半年の命。肉欲は2時間。だからこそ、殺那的な瞬間に溺れたいとも思うのだが……。
今の若い奴は、羨ましい程、愛と肉欲の使い分けを知っている様にうつる。気持ちよければいい程、その反動も、虚しさという言葉は陳腐だ、心の痛手が大きい事を、この女性から教えてもらった。そして、愛も肉欲も理性では語れない事も。( 協力 / 桃園書房・小説CULB '94年11月号掲載)