このクソ暑さはなんなのか。昼は太陽が出ているからしょうがないと諦めもつくが、問題は夜だ。熱帯魚も驚く熱帯夜。
人間は人によって体温調節が違っているらしく、私が冷房をビンビンにすると、妻は寒い寒いとほざく。冷房を使う方が、立場的には不利だ。電気代がもったいない、自然に逆らって生きるとは何ごとだ、科学文明が人間本来のつつましさを失わせ、物欲を生み、闘争へと駆り立てるのだと、自然食品愛好家の妻は正論を振りかざす。俺は真っ赤なウインナーが好きなのだ。ただ単に冷え症のくせに。
そこで、俺はいきなり脳を寒くさせる方法をと、本屋に駆け込んだ。選んだのがこの『北天の十字架』。「北」は単純に寒そう。そして十字架とくれば当然キリシタン、相当な迫害を受け、ひんやりした洞窟での集会、身も凍る様な拷問と、脳は寒い方、寒い方と駆け巡る。クリスチャンの方にはなんとも不謹慎な本の選び方だ。
私は受験で世界史を選択したからという言い訳を使うのだが、日本史はからっきりの無知。だからといって世界史が得意かといえば日本史以上に無知だが、その場は説得できる。だから伊達政宗と聞いても、名は知っているものの、どの時代の何に関わった人物なのかは知らず、ただ渡辺謙の顔がうっすら浮かぶばかり。その政宗に仕えた後藤寿庵などという人物は全く知りもしなかった。これはその人の生涯を綴った本。
少しでも歴史を知っていれば、政宗がキリスト教に寛容であったと知っていれば、この本は私の手元になかったかも知れない。寛容であっては、私の暑さを吹き飛ばすと言う不謹慎な趣旨に反するからだ。
案の定、迫害に関しては淡々と記述され、それどころか寿庵はいきなり暑い地方の長崎に行ってしまう。ムム、困った。
しかし、圧巻は後半にあった。水牢。どうして人間はこうした事を思い付くのだろう。冬の冷たい、冷たい川の中に牢屋を作るなんて。凍るぞー。冷房がどうのこうの言っている場合じゃない。他にも列挙されているのが「火責め、水責め、さかさ吊し、焼け火箸あて、手足の指切り離し、耳の削ぎ落とし、裸の女の市中引きまわし、そして火刑、水刑、斬刑」いかん、いかんこんな事をしちゃいかん。そして、それを心静かに、神の国に行くと受けとめ死んでゆく者もいかん。拷問を執行する者、される者、彼らは誰の為にそうするのだ。自分の為だろうか。小学校の作文のようになってしまったが、僕は思う、人の心を人が操っちゃいかん。神様が欲しくば、自分で河原の石を拾ってこい。
神の下では平等という、神の部分は納得できないが、私利私欲を考えない寿庵の生涯は、夏の夜、心を涼しくさせるには充分でありました。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '94年10月号掲載)