女性の足の親指がペニスになってしまう本だというので、溢れんばかりのスケべ心で読み始めたのだが、なかなか私を勃起させてくれないので困った。私の想像では、巨大親指ペニスを持った女が、男でも女でもヒーヒー言わせるのかと思ったのだが、大ハズレ。真面目にセックスとはなんぞやと、いろいろな性的欠陥を持った人を登場させ、大いに語ってくれちゃっているのだ。どうやらこの女性作家はセックスにおけるペニスの役割をあまり高く買ってないようだ。男性としてはちょっとがっかりだが、一般的な女性の認識はそんなものかも知れない。肌と肌が触れ合う心地好い感触こそが人間的な愛の姿であり、挿入はオマケですよと、上下巻に渡って説いているようで、いささかお付き合いするのにくたびれました。
私としては、一線を越えたとか、スケべは気持ちいいなウッへへへと挿入に重きを置く時代が素敵だと思っている古いタイプなもんで、挿入を二義的なものにすると、性の解放とやらもますます動物の交尾に似てくるんじゃないかと思ってしまう。
先日、テレビでカンガルーの交尾を拝見させてもらったが、カンガルーは群の一番強いものがすべての雌と交わる。雌のオシッコを舐め、発情していると知れば乗っかる。生き残るために強い種が必要なのは道理だが、どうにもセックスが楽しそうでない。挿入しているのに、オレは何もしてないよとばかり涼しげな顔をする。。メージが欠けているのだ。人間様も特に女性が結合した時のスケべ心、イメージの至福感を忘れると世の男性も動物のような味けないセックスをしてしまうぞ。
まあでも、この本では男性がいつまでも挿入、挿入とほざくなら、女性は肌の触れ合いと心落ち着く愛を求めて同性に走るわよとも言っているので、それはそれでいいでしょう。気持ちのいいことが一番、咎めるつもりはありません。
レズビアンで親指ペニスがあれば役にたちそうでエッチな妄想は浮かぶ。だがよく考えると、ペニスになっていない方の足の親指を挿入した方が、サディステックで、よりエッチな事に気づいてしまった。その時、この本はなんだかフニャフニャとなってしまった。もっと過激にエッチをそう思ったのは私だけだろうか。せっかくの発想がもったいない。愛の形を語るだけであったら、親指ペニスは不要であったろう。
それからもう一つ、男根には袋がついてるのをお忘れなく。明け方の温まった布団の中で玉袋を持ちあげる様にしてパイプに触れてゆく、あのヒャッともフワアッとした感覚。親指ペニスにはわかるまい。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '94年5月号掲載)