ダミーヘッド(模型の頭)と言ったら、何を思い浮かべるだろう。まあ、普通ならネックレスなどをかけたマネキンの頭か、科学室にある脳の模型だろう。私が仕事で知ったのは、なんと、マイクであるのだ。これが凄い。マイクそのものが人間の頭の形をしている。そのダミーヘッドのマイクの後頭部に向けて声を入れると、聞き手はあたかも後から喋っている様に聞こえるのだ。これはヘッドホンで聞かないとそうはならないのだが、高低もしかり。背の高い人と低い人が喋れば、その逢いもはっきり出るのだ。言わんとする事がわかってもらえるだろうか。つまり、全方位360度の位置関係がわかるマイクなのだ。私はぶったまげた。
そのダミーヘッドを使って、先日NHKのラジオドラマを吹き込んだ。私はナレーションを受け持つ。私の声は聞き手の脳の中から聞こえて来る様になっている。正月に3週に渡ってFMで放送されるから一度は体験されるといい。カルチャーショック間違いなしだ。
その原作がこの『アドリア海の復讐』。こうした仕事がなければ自分からは読まないような本だが、これが結構はまる。多摩の永山にある私の家から実家の千葉の市川までの電車時間が、乗換えなど入れると1時間半位かかるのだが、読み続けていたら、ほんの10分位に感じたことでも、そのはまり方が分かろうと言うもの。
100年前に書かれた本だとは思えない。先へ先へと、読ませ方がうまい。例えて言えば、夜道などで前を歩いている人が自分の好きな人に似ている、でも違うかも知れない。気になるが声もかけづらい、前の人は振り向いてもくれない、その距離も縮まらない。そしてハラハラしながらついて行くといった感じだ。実際に本を続んでる時はちょこっと腹が立ち、えいやっとページをくくり、前を歩く人の顔を見てしまったが、結論を急いではいけない。ちゃんと納得できる様に書いてあるのだから。
話は、悪い人と良い人がはっきりしている勧善懲悪の復讐劇だが、地中海を船で行ったり来たり、戦争もあってとスケールがでかい。その船の名がさも新しいとばかりにエレクトリック号だったりして、100年の歳月を感じて笑ってしまう。
それにしても、この本の様な勧善懲悪をすんなり受け入れる、今の自分にも驚いている。アナーキーな悪人が好きであった筈だ。歳を取ったせいだろうか。そういえば、日本の時代劇も抵抗なく最後まで見られる様になってきたし、演歌が好きになってきたしな。脳が子供に戻ってきているのだろうか。無理して抵抗する事もないが、ただのオヤジにはなりたくないな。明日は大江の健ちゃんの新作でも読んでみるかな。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '94年2月号掲載)