ブラジルは日本の真裏だというが、本当かいな。埃をかぶった地球儀をひっぱりだし、グルリ回してみた。オオー感動はどこにも転がっている。まさに正反対に位置しているではないか。ということは、サンパウロの大地を踏み締めた私の足の裏は、地球を潜って直線で結べば、日本で誰かの足の裏と重なる訳だ。よく、地球から落っこちなかったものだ。25時間の飛行は地獄の体験であった。いくらうたた寝をしても着かない。身動きできない状態で次々に出される食事、ブロイラーのニワトリの気持ちがわかるというもんだ。その機内の斜め後方には、大寅、いや大鶴義丹が観念したように座っている。
今度TBSの木曜8時に始まったドラマ「オレたちのオーレ」のブラジルロケで一緒だった。サッカーブームにのった安易な企画と言われれば、その通りだが、このコラムを読んでいる人なら、礼儀として1度は見て欲しい。
という訳で『スプラッシュ』。一応、私も共演者の礼儀として読んだのだが、最初の数ページから度肝を抜かれた。なんとも心地良い文章のリズム感。ぼおっとしたあの顔からは想像がつかない。間違っても、義丹さんの演技はうまいとはいえない。しかし、この本はオーバーでなく古典の1つとして残るに違いない。ひと夏の経験を通して、青春の「過ぎ去るもの」の哀歌とはいわない。「過ぎ去るもの」を塊セかたまりソとして素直に表現する。わかりづらい言い回しになってしまったが、私には青春時代はひと塊に思えてならない。目的もなく友達の下宿で麻雀と酒にあけくれる日々。その時代は流れが止まっている。だから塊となってその時代だけ残っている。そして、それは確実に「過ぎ去るもの」であったのだ。
私の経験とダブらせるにはおこがましい程に「スプラッシュ」の世界は豊饒に無目的で刺激的だ。海、女、薬。目的はなくても生き生きしてる。そして、その時代には、帰りたくても帰れない。いくら若ぶっても、エネルギーが違う、性欲が違う、感性が逢う、経験が違う。
小説の舞台となる千葉の御宿には、5年前に息子と自転車旅行で立ち寄った事がある。下品なほど、真っ黒に日焼けしたサーファーの群に、おじさんと10歳の息子は浮いていた。同じような体型の若者を見て、このバカ者どもは遊びしか頭になくて、女ばかり漁って、お前等の気取りは格好よくねえよ〜んと思ったものだ。この本を読み終えた今、あのサーファー達が、海など無縁の自分の青春時代とビシッとつながっている様な気がしてきた。不思議だ。本に時代を越えた本質をとらえた部分があるからだろう。義丹さん、おみそれいたしました。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '93年12月号掲載)