評判を聞いて本を読むのは妙な安心感があるが、ワクワクした高ぶりがないのはどうしてだろう。アイドルの先物買いみたいな所があるのかも知れない。有名になってしまえば、みんなの物。独占欲の満足度が薄れるせいか。あるいは、ある種の評判を得た本は、この評判は本当かいなといったチェック機能が働いて、客観的になってしまうせいだろうか。たかが1年や2年の遅れでそんな気にさせるのだから、マスコミの情報が時代を走るスピードに驚くと同時に、スコミが作家との出会いの高揚感を奪っている様にも思ってしまう。とは言っても、世の中には、ベストセラーになってから読む人と、その発信基地になりたい人と2通りいて、他人より先へ先へと、出会いの高揚感なぞとほざく私が、最もマスコミに毒されているのかも知れない、「出会いは、いつも新鮮に」こうありたいものだ。
『火車』は、F1レースでいえば、1周遅れで読み始めたという気がしてならない。いや、19刷発行となっているから19周遅れか。先頭を走るのは女性陣だ。女性から女性へ口コミで伝わり、男性が何を面白がっているんだと、のろのろついて行く構造が想像できる。良質の2時間のサスペンスドラマを見るより数段面白い。一気に読める。本筋で引っ張っていくのはもちろんだが、読み終えると、本筋の犯罪よりもう1つの事件の方が印象に残っているのは私だけだろうか。これは会話だけで進行しているのだが、女性が色恋で男がらみの犯罪を犯す時代じゃない。自分自身の地位、名誉、金のために殺人をも犯すのだというくだり。女性がいつまでも秘書に甘んじていると思ったら大間違い。経済活動に積極的に参加して、そこでの充実感を得たい、会社乗っ取りまで考えている。男性抜き時代は進んでいる。まさに、犯罪における女性の地位向上だ。女性作家であるだけに説得力もあり、国会での女性議長の誕生より女性の自立が現実味をおびて、大いにショックを受けた。この本が女性の見方を変える1冊になる事は間違いない、この視点が、女性により多く読まれる所以だなと納得してしまった。チェックはOK。
もう1つ。本筋とは関係なく、これは最後まで付き合えそうだと思ったのは、73ページ。主人公の刑事が風邪を引きかけの息子に「右の鼻がつまっているだろう」というセリフ。すべてのセリフの中の最高点を差し上げたい。なぜ、わざわざ「右」と言わねばならないのか。「鼻がつまっているだろう」でいいものを。このナンセンスに1人ほくそ笑み、なぜ鼻は交互につまるのか考えてしまう、今日この頃である。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '93年11月号掲載)