一流の料理人を連れて、日本を代表する清流、四国の四万十川に行って来た。2泊3日の旅。いわゆる業界用語でいう、おいしい仕事である。御覧になった方は、うまい物を食べ、飲んで、ぶらぶら旅をして、ただ遊んでいるだけじゃないかとお思いでしょうが、まさにその通り。めんどくさい事といえば、四万十川を下る屋形船の気持ち良さとか、風景の心地良さ、料理の味を表現にしなきゃいけない事ぐらい。これをしなければ最高の旅なのだが、それでは仕事にならない。まあ、その表現にしたって、カメラが回っているのはほんの短い時間。あとは旅に酔いしれていればいい。おいしい仕事に変わりはない。
そこで出会ったのが、鮎釣りの名人。なんと首の所まで川につかって竿を投げるという。その人の別称には笑わせてもらった。四万十の水牛だ。なんとものどかではないか。普通なら会えないような人にもカメラがあれば会える。心底羨ましがって、くやしがって、コンチクショウと思ってくれたまえ。ただ私の偉い所は、四万十川に行くといえば、笹山久三さんの『四万十川』をきちんと押さえるあたりにある。もう何冊も続刊が出ているが、『あつよしの夏』だけしか読んでいないのも私らしい。弁解するつもりじゃないけど、全巻揃って置いてある本屋さんがないんだよな。素敵な本なのに。頼みますよ本屋さん。
自閉症ぎみだが、男らしい、芯の強い、心優しいあつよし君、おおいに泣かせてもらいました。一気に読むのがもったいなく、3日にわけて読んだ。それも朝、寝起きに。枕がちょこっと濡れて目覚める朝の快感。四万十川の風を知らない人でも感じられます。少年を扱った本は朝にかぎる。朝は子供だ。
四万十川を気にしていると、いろんな形でその文字が目に飛びこんでくるもんで、テレビでその映画も見る事ができた。ただし、映画は途中でやめた。どうにも暗い。本はあんなにも爽やかなのに、じめじめして泣く気にもなれない。あつよし君が心で感じる自然との触れ合いの楽しさが表現されないので、貧之が浮きたってしまう。貧乏は泣けない。泣けるのは自然に生きる、いさぎよさだろうに。それに、風景を肌で感じるには、映像より活字の方が力があるみたいだ。だから、私みたいなタレントが風景の中に立ち、肌感覚を活字的に伝え、映像を補う必要があるのだ。ということは、こういう仕事はまだまだ続くということ。よしよしと。
四万十の旅では、セーラー服の女子中学生とも出会った。『四万十川』読んでますかと聞くと「はい」と答えた。その瞬間、あつよし君の姉さんとダブッた。一人ウキウキした。もちろん、カメラは回っていない。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '93年10月号掲載)