どうしても、ゴルフがうまくならない。頭と体と心がバラバラ。打ち終わった後の後悔と不様な己のホームを誰に腹をたてればいいんだ。「そうじゃないよ、分かっているだろう、引っぱっちゃダメなんだよ。華麗な素振りの様に打てばいいんだ。」と言い聞かせて打てば、タマはコロコロと地面を這って行く。カキーンとしっかり当たればOB。今の打ち方が悪い見本だからと肘を固めれば、またOB。どうして同じ過ちを繰り返すのだ。情けない。開き直れば、見事フェアウェイキープのナイスショット。これだこれ、これでいいんだ。しかし、ナイスショットは2度続かない。この日のコンペのためにあれほど練習したのに。くそ! もう打ちっ放しの練習なんてやめてやる。これから俺は精神の訓練をする。ゴルフは、物に動じない落ち着きと平常心。
そして、選んだのがこれ『西鶴人情橋』。タイトルは軟弱だが、ストイックな侍がいた。磯部信十郎。がっちりした体型でいかにも二枚目といった感じ。女遊びはせず、すがすがしさを漂わせる。西鶴をまったくの脇役に追いやる。西鶴は恋に悩み、作品ができないと悩み、事がうまく運ぶと大喜び、まるで俺のゴルフだ。この侍と芸術家の関係が実にいい。そこに絡むのが大富豪の商人。見事な構成になっている。時代小説は、たまに読むと時間が停止したような非日常感覚に浸れて、この世界から出たくないなあという気になる。人に会いにいくにも徒歩。もちろん、大阪から江戸だって歩く。そんな時代があったとはどうにも信じられない。夜は夜として、星明りだけで静かに君臨している。テレビがないのだから、人が恋しくなっても外に出るしかない。当たり前の事だが、意外とこういう事が人間関係を大事にせねばという気にさせるのだろう。そんな時代の雰囲気まで感じさせるこの小説は、俺のお気に入りの1冊に加えることにする。
信十郎が恋する女性をひしと抱くシーンなんぞも、背筋がゾクッとする。愛とは女性を守る事だよ。セックスじゃないよ。忘れていた事を思い起こさせる。その気になって妻を見れば、ああ、この人は守らなくても生きていける。嫌な時代になったものだ。
さてゴルフだが、俺はこの本から学んだぞ。信十郎が西鶴を評してこう言っている。「いかなる兵法上手といえどもおよそ剣を手にしたとき五体に些少のムリが生じる。だが西鶴にはそうした不自然さはなく、ただ無邪気にたたずんでいた。」 これだ! 体にムリがあって当たり前。それを、無邪気で制圧するのだ。これならできる。よし、今度こそは絶対、100を切るぞ!
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '93年6月号掲載)