最近のNHKはちょっと可哀相、やらせ問題から端を発して、一部NHK熱狂的ファン?の攻撃の手はとどまるところを知らない。先日も、アナウンサーが唐突に画面に向かって「文盲という言葉は、目の不自由な方を差別する発言で、正確には非識字者というべきでした。」と訳のわからない事をおっしゃっていた。オイオイ、直接的でわかりやすい日本語をどんどん無くしていく、NHKの罪の方が大きいんじゃないのかい。「その言葉に差別をみつける人がいる限り、差別はなくならないでしょう。」とか毅然と言って欲しいよ全く、
そしてもう一つ。朝日新聞の家庭欄に書かれていたが、幼児番組の「おかあさんといっしょ」で流れる挿入歌の「二人で一人、ふたごだもんね」という歌詞に、ふたごの親たちが反発して、その歌詞を変えることにしたんだと。誰もふたごを二人で一人だとは思いやしないよ。二人が歌うときれいなハーモニーを奏でて、まるで心が一つの様だという意味だというじゃないか。NHKに歌詞を変える権利がどこにあるんだよ。がんばれNHK! 大きな視野に立ってよ!
まるで新聞の論説のようになってしまったが、この小説『女ざかり』が新聞の論説委員の話なので、ちょっとその気になってみました。この本を読むと、新聞の社説とかコラムが原稿から印刷されるまでのプロセスがわかって、実に興味深い。この小説の中の新聞社では、まず20人ぐらいの論説委員で会議が行われ、誰がどんな事を書くか検討するムダ話がなされる。そこで、書くアイデアをもらったり、自分の考え方を整理したりする。一つコラムを書くのに。こんな会議がなされていたとは驚きであった。大人数の意見が混じれば、一般論になるのもあたりまえだ。2そういえば天声人語にも、「伝え聞いた話で……」という書きだしで始まるのがよくある。こういう会議で出た話なのかしらと想像して読むと、またひと味違った味わいがある。
一つの文章にどんな会話が飛び交ったのだろうか、一度試しに会議の様子を想像してみるといい。意見を言わずに、そんなこと書かなくてもいいだろうとムスッとしたオヤジの絵が、浮かんだりして、笑うよ。書きあがった原稿は、偉い人が目を通して、読者の誰からも苦情がでないように本音をカモフラージュしてゆく。座付き記者のコラムが見事な視点はあっても、本音の意見が出てこない構図がよくわかる。以上の理由で、私が先に書いた、NHKがんばれみたいなコラムは出てこない訳だ。可哀相に。
全体としてこの小説、私にはエッセイを読んでいる様な感じを受けたが、書道家のおじいちゃんが若い娘のお乳をさわるくだり、私大好きです。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '93年5月号掲載)