驚くべき事に、アメリカでは6分に1人がレイプされていると言う。そのうち4件に1件が複数による犯行だと言う。それが報告されている件数であるから、泣き寝入りをいれたら膨大な数字になるだろう。この原稿を書き終えるまでに、何人の女性が犠牲になることか。アメリカとは、まっこと恐ろしい国よ。
この本の原題は「TAKING BACK MY LIFE」とあったが、日本にくると、おぞましくも『ザ・レイプ』となってしまう。なんとも、スケベ心をくすぐる。そのおかげで買ってしまった。自分の身にふりかかって来ない事には、人間は実に興味本位である。読み終えた今、深く深く反省して居る。レイプされた女性の精神的ショックと屈辱感は、想像できる限り想像して、それ以上のものである事を知った。実際にレイプされた女性が、事件、裁判、その後とヒステリックともいえる文章で書かれている。自分の名を公表し、裁判になっていくあたりから、レイプが、いやらしい、隠微なドロドロしたイメージから、はっきりした恐ろしい暴力犯罪であると認識させられていく。つまり、レイプは男にとってはSEXだが、女性にとってはSEXでもなんでも無いのだ。あたりまえの事のようだが、世の男性諸君はSEXの本質を考え直す時期に来ている様だ。
「いやよいやよも、好きのうち」なんぞと都都逸を唄っている場合じゃない。現実は、恋人、夫婦間でもレイプは成立する。これをデイトレイプと言うそうだが、そりゃそうだ、キャッチボールをしていて、ミットを構えない相手にいきなりボールをぶつけたら痛いし、腹がたって傷がつく。SEXを夫婦喧嘩の仲直りの手段につかっているあなた、要注意。より精神的に生きなきゃいけませんぞ。
手記を書いたこの女性は、駐車場で車を止めている時に、いきなり黒人に「じたばたすると殺す」と侵入される。そうした暴力に弱者はいったい何ができると言うのだ。私だって、どでかい男に関節をきめられ、ナイフを突き付けられ、裸にされ、そいつの尻についた糞をなめろと言われたら、その場は耐え、復讐を誓うしかない。ペンは暴力よりも強いと言うが、その屈辱はどうすればいいのだ。生きているだけでもよかったと、最低の説得をしなければならない情け無さ。
レイプする男はその後の罰は考えないと言う。一種の病気だ。男なら、誰でもその病原菌を持っている。その病原菌のために、自分の家庭までめちゃくちゃにする。治らない病気はエイズだけではないのだ。精神科医の養成が、日本でも急務であるだろう。書き終えた今、18人の女性が犠牲になっている。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '93年2月号掲載)