突然、「昨日は何をやっていた?」「お昼は何を食べた?」「おとといは?」とか聞かれたら、絶望的に記憶力がストップしている事に気づく。思い出すためには、ムラムラする頭の便秘状態を味わわなくてはならない。日常的な事は、どんどん忘れる記憶装置が人間にはあるのだろう。ところがだ、その欠落してゆく部分に重要な情報があったりする。特に、特命をおびた諜報員や外交官にはありそうだ。そこで、彼等は自国へ戻ると、その人が持つ情報を洗いざらい引きださせるための聴き取り調査が行われるという。これをデブリーフィングと言うそうな。いやはや、新しい言葉に接すると、知的好奇心がムズムズする。先取り言葉は文化人の必須のアイテムであるから、腐らないうちに使うとよろしい。もう死語になろうとしているセクシャルハラスメントという言葉も、最初に活字で接触した時に、これは流行ると直感した私が言うのだから、このデブリーフィングも絶対大衆的なものになると確信する。1ヵ月後には、若い恋人達はデブリーごっこなる遊びをやることになるだろう。そのためにもこの『宇宙よ』は読んでおく必要がある。
本物の知識人立花隆が、徹底的なデブリーフィングをやっている。相手は、日本人初の宇宙飛行士秋山さん。訓練から出発、帰還まで、根掘り葉掘り聴かれる。テレビで見て、秋山さんは毛利さんより可愛げのある解放的なおじさんという印象があったが、まさにその通り。その性格までまる裸にされている。意外と怒りっぽいおじさんであったのだ。宇宙船ミールに乗り移る時、嬉しそうにやっていた「日本人初……」と書いた垂れ幕を持っての進入も、あんな事はやりたくなかったとプンプン怒っている。専門的な話も多いのだが、そんな事はどうでもいいやという姿勢で読むと、この本はウンコとゲロと朝立ちの本ではないかと思ってしまう。テレビで言えなかった事がボロボロでてくる。朝立ちはソユーズではあって、ミールではなく、地球に戻ったらすぐあったという。元気なおじさんだ。無重力なんだから、ウンコは下に落ちる訳ではないのだから、逆さになって上に向かってしてもいいとか、子供みたいな話もしてる。
全編を通して、とにかく秋山さんが怒っている所は面白い。ロシア人、テレビ局、訓練のやり方、金銭的な事、いたる所で怒ってる。最後に秋山さんは感慨ぶかげに、地球に降りて5日しかたっていないのに、宇宙での事は意外に忘れてる。人間の記憶力なんて大した事ないなあと言う。
私はこの本を読んで、宇宙を知った事より、デブリーフィングという言葉を知った事の方がカルチャーショックだったと記憶にとどめておこう。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '92年12月号掲載)