海の男きたろう、南海の小島、石垣島で大暴れ。いや、暴れた訳じゃないが、なんと全長1メートル以上もあるサワラをトローリングで釣りあげた。正確にいえば、勝手にかかった大魚をリールで巻かせてもらっただけだが、なかなかの手応え。女、子供を忘れたね。4泊5日の海ざんまい。潜ってはサンゴを観ほうだいの、飲んで食べほうだい。遊びの中でクルージングにかなうものなし。その種の興奮は、なんと言おうかSEXとはひと味違うものだ。どうも俺は南の方へいくとチンポコが萎える。SEXがおおらかに思えて、淫靡な気がしない。だからと言う訳じやないが、こちらへ帰って、性的な本を読んでみようという気になった。
「回想の『風立ちぬ』」。実にいい。昭和の30年代からブルーフィルムを作り続けた男の話。知らなかった事を知る面白さもあるが、なんといっても、人間でしか味わえない性的興奮、見て想像してムラムラする。人間として生まれた以上、この特権的な興奮を行使しない手はない。チンポを挿入する撮影現場風景やら、ブルーフィルム販売ルート、村での上映会など、その時代もマザマザと分かる。へえーそうなのと思う事ばかりだ。これを読むと、犯罪に携わるのは、法を作るより楽しそうという事がはっきりする。しかし、その法がなければ、闇にいるような緊張感がない訳だから、この監督は今、法と時代背景に感謝しているに違いない。
私も若い頃、ピンク映画をかじった事がある。その頃はにっかつロマンポルノ全盛で、裏はともかく表は市民権を得ていた。罪の意識はまるでない。台本を書くからといって、現場に助監督としていさせてもらった。スケベの塊となった自分を思い出すと懐かしい。初めての待ちにまったカラミのシーン。監督が、俺に買物に行ってきてくれと頼むのだ。えっこんなときに!何を頼まれたのか忘れたが、チンポが立ったまま外に出たことを覚えている。情け無い。今にして思えば、自分の目のギラギラが職業人としてのそれでなかったんだなと深く反省している。まだこの頃は「風立ちぬ」を撮っていた時代の役者に対する優しさがあったのかも知れない。今は、どうも女性を商品としてしか見ていないようだ。だからといって嫌いな訳じゃないが……。でもどちらかというと、闇に葬りさられたブルーフィルムを1度でいいから見てみたい、犯罪の臭いを嗅ぎたい。こんな奴がいる限り、裏ビデオは永遠に不滅だろう。それより、裏が裏であり続ける事の方が難しいかも知れない。気分を変えて、堀辰雄の「風立ちぬ」でも読み返してみようかな。純情とスケべ、同じ事かも知れない。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '92年8月号掲載)