新聞の広告などで見て、何となく気になっていて、いつか読む事になるだろうと思う本があるが、この本がまさしくそれ。「あなたに褒められたくて」、いやはや、何ともイカス、タイトルではありませんか。あの健さんが、誰に褒めてもらいたいんだろう。褒められて喜ぶタイプにもみえない。憬れの健さんが、我々と同じ、褒められたい願望を持っているのかと内心ほくそえむものがあった。果たして「あなた」とは誰なのか、芸能記者になり下がって、興味はその1点に絞られた。そのため、最後に書かれている、タイトル名と同じエッセイから読み始めた。すると、なんと母だったんですね。ちょっと肩すかしをくらった気分。最愛の誰かか、お客一般か、隠し子か、ハタマタ……といろいろ考えたのに。でも、健さんらしいといえば、健さんらしい。トンチンカンな評価をしようが、虚構の中の息子が現実と一緒になってしまう母こそが、唯一永遠のファンなのかも知れません。健さんも人の子、天涯孤独で生きてきたと思ったら、大間違い、心配し続ける母がいたんですね。
なにしろ健さんといえば、60年代の終わり、アウトローを気取った学生達の英雄、映画館で拍手がおこり、「よっ! 健さん」と声がかかる。スクリーンに写るビートルズに飛びつく少女の様に、健さんに興奮したものです。そのずうっと以前は、鞍馬天狗の登場で、スクリーンに拍手が起こったそうですが、最近、そんな話は聞きません、現代人は賢くなりました。生身の人間とスクリーンが区別できる様になったんですから。それとも、虚構の楽しみ方が、昔の人の方がうまかったのかしら。単純さに酔う、危険ではありますが、相当な快感でありました。義理と人情のいたばさみ、すくっと立つ健さんのストイックな表情、怒りを内面で燃焼させ、奥歯を噛む。目は冷静であるが、狂気となる用意もされている。そんな演技が、ウソでやっているのではない事が、このエッセイを読むとよくわかる。自分の人生を通して、お客を裏切らない。虚構の高倉健を守る。日本最後のビッグスターだ。演技は自分の中の内面から引きだす。外側からうめてもダメなんだな。う〜む、勉強になりました。
健さん、意外と衝動的なところがあるのが、プロ野球の村田兆治に会いにゆくくだり。彼の引退試合の挨拶を、たまたまテレビを見て、その寂しさを思い、花と手紙を持って、会った事もない村田さんの家に、その日に行ってしまうのだ。しかも、雨の日に。電話でよさそうなものを、律義なんですね。才能を持つ男同士の対面、絵になるなあ。結局会えないのですが、それもまたよし。サンタクロースの様に、健さんが、いつ、私の家を訪ねてくれるかわからない、オレもギャグに磨きをかけるか。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '92年1月号掲載)