ICON 謎解きは時間をかけてゆっくりと

「サクセス・ストーリーズ」 / ラッセル・バンクス(早川書房)


 何だか今月はバタバタと忙しかった。「忙しい」という字は心を忘れると書くのよ〜という事でまことによろしくない。そんなこんなで、短編でも読んで、このコーナーをさらりとシンカーでも投げようかと本屋で見つけたのがこの本。ところがどっこい、1篇だけではすまなくなった。面白い! 全部読むはめになった。仕事の台本を覚えなくてはいけないのに、小説など読んでていいのか、えっ! 君。どうも私は、やらなきゃいけないと思うと、酒を飲んだり、寝ちゃったりと、今日の仕事を明日に残す習癖が身についてしまったようだ。でもまあ何とかなるものだ。忙しい時は頭をクリヤーにする事の方が大切だと勝手な理屈をつける事にしている。
 そして、この本。スパッと頭をクリヤーしてくれる訳ではないが、実にいい。もし万が一、私が小説を書くような事があったらバンクスさんこそ師と仰ぎたい。台本のト書きの様な簡潔な文章、乾いた目、冷たくて優しい。おいしい料理をおいしいとしか表現できないとはこの事だ。12篇の短編を読み通して、全体の世界がドドッと津波の様に覆い被さってくる。それは、生きてる事の切なさだろうか、しかし、その切なさを共有、あるいは同感できた時、生きてる事が素晴らしいと思えるのは、どうした訳なんだろうか。人間とは不可思議な動物だ。
 私小説的な短編と短編の間に寓話的な意味ありげな、全く意味のなさそうな話が数編入っているのだが、これがまたいい。話の内容は絶対教えない、簡単な話なのだが、ここに書くとより簡単になって、不条理がふっとびそうな気がする。だまされたと思って読んでみてごらんなさい。このコーナーで、これだけ私が推薦するのは初めての事なんだから。混沌を混沌のまま、血と肉にする喜びを知るはずです。謎解きは時間をかけてゆっくりと酒を飲みながら、まさに、そんな気にさせる本です。
 知る人は少ないのだが、私はアメリカ文学を専攻していた文学青年だった頃がある。俗物とはいっさい混じるまいと心に決めていた。そしてある時、自分が一番の俗物であると気がついた時、コメディアンになっていた。そんな頃から思っていたのだが、どうして、アメリカと日本、これだけ風土が違って、人間の心の動きは一緒なんだろうと言う事だ。例えばこの本で、結婚するまで彼女を抱かないとある種の潔癖さを持った男が、彼女が処女でないと聞かされる、というより強引に聞くのだが、その時、結婚まで抱かないという意味がわからなくなる。だから抱く事に決める。でも結婚まで抱かないと思っていた自分の拠り所はなんだったんだろうか。愛なのだろうか、それとも愛が冷めて抱くのだろうか。ウーム、わからない。そして、読者はわからない事がわかるのだ。

( 協力 / 桃園書房・小説CULB '91年9月号掲載)

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