ICON 静かで、たんたんとさりげなく

「玄鳥」 / 藤沢周平(文藝春秋)


 NHKの書籍売場は、町の本屋さんより、ほんの少し安い。何を読もうか本を物色していると、今年から私のマネージャーになった関川君が1冊の本を持って来た。
「これを読みなさい」関川君は異常にデカい。私との身長差は30センチ程ある。同じ世代であるのだが、高い所からの言葉はどうも命令口調に聞こえる。
 私は当然な質問をする。
「ヘー、これおもしろいの」
「とにかく読みなさい」
 巨体が威圧する。
「読んだの?」と私。
「読んでない」キッパリと関川。
「………?」
「これしかないコQOUW!」
 理屈のない妙な説得力で買うはめになった。
 時代物の小説は、何も本を読みたくない時に読むと実に爽快な気分にさせてくれる。「玄鳥」は5つの短編の中の1つなのだが、どの作品も、静かで、たんたんとさりげなく、格調がある。途中から、正座をして読まなくちゃいけないかしらという気になってくる。なんであんなにも丁寧に文章が書けるんだろうかしら。藤沢ファンには何を今さら小僧っ子がと言われそうだが、私は初めて読んだんだから許してたもれ。マネージャー関川は知っていたに違いない。理屈を述べず本を薦めるなど、まるで武士の様な事をしやがる。
「玄鳥」はまさに武家社会の生活の匂いが皮膚感覚にしみ込んでくる様な気持ち良さがあるが、私はその次の短編「三月の鮠」が好きだ。強い者が強い、言葉でなくて剣が証明するので理屈ぬき、身長が、いや身分が高い人には忍従する、父は偉い、浪人は浪人、女性は多くを語らず、男性にかしづく、はっきりした社会構造がある故に、それに逆らう微妙なズレが本質的な人間的な部分を露呈する事になる。人情の機微という奴だ、制度が、がんじがらめである程、人情は胸を打つ。昔の人は人情があったという言葉の裏返しは、昔には有無をいわさぬ制度があったという事かも知れない。
 家柄で結婚相手を決める制度の中で、見ず知らずの女性に、一目ぼれなどすると、もうそれだけで大丈夫かしら父上に許してもらえないぞとワクワクハラハラしちゃう。結果、その女性が身分のある人だとホッとしちゃったりして、どうにも情けないが、こんな時に私は革新だ、人間は皆平等だと言った所でしようがない。悔しさとか恨みも、制度に耐え忍んでいるだけに、まさに恨み骨髄だ。恨みが骨の髄にしみる。現代にはなさそうな痛みだが、虚構に入り込んでる者にはわかる。どこか、日本人だ。その恨みは、いずれ相手を切る。どうにも当然な説得力、小説はスゴイ! いや、江戸時代の制度もスゴイ。考えてみれば、それ程遠い昔ではない。個人が刀を捨てて、失った事の方が多い様な気にさせられた。

( 協力 / 桃園書房・小説CULB '91年6月号掲載)

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