ICON 何しろ、文体がイカス

「ワールズ・エンド・ガーデン」 / いとうせいこう(新潮社)


 新幹線が東京駅に着こうとしていた。名古屋からの仕事の帰りにこの本を読み始めた。車内で、乗換えのアナウンスが聞こえる。
 「マリファナ方面は地下へお進み下さい」えっ! ワールズ・エンド・ガーデンが現実になったのか。耳を疑った。私は、次に放送される英語のアナウンスを聞き逃すまいと本を閉じた。どうやらマイハマ方面と言っているらしい。マイハマがどこにあるのか知らないが、とにかくホッとした。それ程、この本は吸引力がある。ヤクザ映画から出てくる客がみんなヤクザ歩きになっている様に、その気にさせる世界観がある。久々に早く読み終えるのがもったいないと思わせる本に出会った。
 学生時代に大江健三郎に出会い、幻想にとりつかれる若者のパワー、そしてそこで連帯する高揚感に酔いしれていた。なにしろ、強烈にイメージを頭の芯にぶつけてくる文章がすごかった。だがここ数年、健ちやんには裏切られっぱなし、「治療塔」でやや回復の兆しが見えてきたが、欲求不満が残った。今、いとうせいこうを待って、興奮と感受性がよみがえって来た
。 なにしろ、文体がイカス。ボコボコ壁にぶちあたりながら読みすすむ感じは、イメージを増幅させる。文学はこうでなくちゃ。さらりと映像が浮かぶなら、何も文字でなくていい。テレビであり、映画でいい訳だ。文字から喚起するイメージは、はっきりした絵になってはいけない。
 例えば「恭一はアスファルトの道を駆け抜けた。街灯に照らされた道路は、巨大な爬虫類の背骨のように真中が少し盛り上がり、雨の残りの水を弾いて汗ばんでいるように見えた」なんだかドロッとグチャグチャしてて、いいね、いいね。
 ストーリーはこれから読む人のお楽しみという事にして、テーマは、純文学の原点ともいえる「アイシャドー」じゃなくて「アイデンティティー」の領域だ。私はどこから生れて、どこに行くのか、そして文化は私とどう関わるのかというヤツ。コ難しそうだが、純粋肥大の感受性を持つ登場人物達が、好感もてて、私も悩んでみようという気にさせる。 今では、私は「牛のように生れて、牛のように死んでいく」と考える事にしているので、哲学的問題にぶちあたらないが、最近、牛が日射病で死ぬというニュースを聞いた。牛のように死ぬとはどういう事かわからなくなってしまう。
 人づてに聞いたのだが、いとうせいこうは現在、「純文学、命」というタスキを肩にかけ、巷セちまたソをかっぽしているという。この本を映画にしようとかいう邪セよしこまソな気持ちを持たず、そのタスキをはずさぬよう、1ファンとしては望みたい。それともうひとつ、本の最後に献辞があるのだが、なんだか訳のわからない人に捧げて欲しくないなあ……。

( 協力 / 桃園書房・小説CULB '91年5月号掲載)

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