奇妙な本である。のり平さんの喋り口調で、生い立ち、芸談、笑いとは、諸々の雑学と披露されていくのだが、聞き手の小田豊二さんが歌舞伎の黒子みたいに、存在しているのだ。聞く場所がのり平の家であったり、バーであったり、背景がイメージされるインタビューになっている。例えば、のり平さんが家で「そこの焼酎とってくれ」と小田さん頼むのだが、一見、のり平さんの話の本質とは関係ないと思われることまで記載されてゆく。これが後で、ボディーを打たれたように効いてくる。晩年の、のり平さんの生活ぶり、人との対応、孤独がうきぼりになってくるのだ。
私は息子ののり一さんとちょっと面識があり、彼がアングラの芝居をやっていた頃、お家の稽古場をのぞかせてもらったことがあります。四谷のど真ん中に家があり、広い三十帖くらいの稽古場を家に持っている。芸能人ってすごいな、いい加減なお調子者の演技の裏ではきっちり稽古してるんだと強い印象を持ったことを覚えてます。
ところが、話を聞くと「社長シリーズ」の、のり平さんの「パーッといきましょう…」の演技は、やっぱりリハーサルなしの一発勝負。カメラ位置を決めたら始まるという、相当いい加減なものみたいでした。のり平さんの話ぶりからするとあまり稽古もしてません。ちょっと安心しました。あの稽古場はおもに仲間との宴会場に使われていたんです。やはりラフな感じがなければ、あの笑いは生まれません。喜劇は難しいのです。それでも一応あの宴会部長は、家では奥さんに小遣いを一銭ももらえない、尻に引かれた旦那で、ただで酒を飲むしかない男と役作りはしていたようです。だから、ただ酒と聞くと、あのギョロとした目が異様に光るんです。雰囲気ではやってないんです。
ただ私がショックだったのは、「社長シリーズ」などの映画を全く自分では評価していないということです。あんなものはウンコだよと言い切り、自分の映画は見たこともないと吐き捨てます。どうして? 誰も追従を許さない軽妙な演技と笑いを。
のり平さんは映画は監督のものと言い切ります。やはり舞台に立ってのコメディアンであり役者だという意識が強かったようです。客との呼吸、相手役との間、アドリブ、劇場全体でつくり出す笑いの時に、自分の真価が発揮されると思っていたんですね。残念ながら、私はのり平さんの舞台を拝見したことがありません。この本を読み終わって何が悔しいかって、一度でいいから舞台をみておくべきだったということです。晩年は演出家の仕事も多かったようですが、のり平さんの客との呼吸が見たかった。映画の数百倍笑えたんじゃないでしょうか。
先輩から教わることの多かった本です。御冥福を祈ります。
( 協力 / 桃園書房・小説CULB '99年11月号掲載)