ICON 写真のアップはレンズを見ない事

「顔を見ればわかる」 / 石堂淑朗(飛鳥新社)


先日、街頭で占い師をやるはめになった。もちろん変装してだ。そこで30人ぐらいの顔をマジマジと見させてもらった。人間の顔の崩れ方は実に面白い。この人、なんでこんなに鼻が広がっちゃっているんだろう、目が下がって、口が曲がっちゃってと、じっくり見ると、水族館に行くより楽しくなってくる。まあ3分間、人の顔を見れば、大概の事は分るかもしれない。顔に深くシワの刻まれたおばさん。「苦労したでしょう」と私。「はい」とおばさん、もう涙ぐんでいる。別に占い師でなくとも、誰でもわかる。顔は作られて行くんだなとは、その時の実感であった。
さて、この本だが、占いとは全く関係ない。帯にいわく「日本人の顔はどうしてこんなに貧相になったのか」。主に、歴代の政治家の顔写真を単行本の半ページをつかって、デカデカと載せ、嘆き節が続く。槍玉にあがっているのが、竹下、宇野、海部の各総理の顔。品性がない、総理の器でないと一刀両断だ。まあ誰しも思っている事なので、話としては新鮮味はない。しかし、様々な顔写真と目次には笑わせてもらった。宇野元総理の魚眼レンズで撮られた様な、情けない程のマグロ顔、海部のまさに漫画から抜け出したダメオヤジ。目次には各々の顔にタイトルがあるのだが、渡辺美智雄が行商人。2流の大学教授の三木武夫。大島渚は仮面。竹下登にいたっては、犬としか書かれていない。 
日本人の顔が貧相になったのは、おしゃべりとへラへラ笑う奴が増えたのが原因だと石堂さんは力説しており、明治の男は不機嫌であって、そしてそれが格調ある顔を作るのだという。その代表として、夏目漱石、森鴎外の写真を載せているが、確かに、憂いを秘めた、素敵な目をしている。
しかし、他の人とどこが違うのか何度も見比べながら写真を見ている内に、恐るべき事実を発見した。明治の2人は、カメラに視線を合わせていないのだ。他の人達はカメラを凝視するあまりに、どうしてもマヌケ面で現実的な顔になってしまっている。人間の顔は真正面から見るものではない。自分の運転免許の顔写真を見ればわかる。誰もが犯罪者の顔になっている。そうか、そういう事だったのだ。漱石は真正面を向いているが、視線をカメラのレンズから微妙に外している。これが知的で永遠を見つめる目になっているのだ。私も、それ程の者ではないが、何を言われるか分らない。これからは、写真のアップはレンズを見ない事に決めた。皆さんもそうした方がいい。ただ、目の焦点があっていないと、ちょっと変な人と思われる場合があるので、その辺は要注意。  
ちなみに私の顔は友人から、修学旅行のカメラマンの顔だと言われている。なんのこっちゃ。

( 協力 / 桃園書房・小説CULB '91年2月号掲載)

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